フィクションにリアリティを求めるべきか?

2013年10月01日 #
Comment (1) | |
1増田的発言者:2013/10/01(火) 12:49:57.00 ID:bfgCcX8k8L

ダンガンロンパの感想スレ見に行ったけど、ひどいな。

小説に「実人生」を探すという致命的な誤りを犯さぬように最善の努力をしたいものだ。『ドン・キホーテ』はお伽話である。フロベールの『ボヴァリー夫人』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』も素晴らしいお伽話なのだ。ただし、こういうお伽話がもし存在しなかったならば、この世は本物ではなくなってしまうだろう。

すぐれた小説というのは独特の世界をなしており、その意味では、読者の住む世界と適合するとは思えない。その一方、さも大事そうに言われる「実人生」というのはいったい何なのだ?動かぬ「事実」とは何なのだろう? (中略) ひとつ確実なことがある。すなわち、平均的な人間というもの自体がひとつのフィクション、一連の統計にすぎないということだ。

というわけで、「実人生」という概念は、一般的な規則に基づいているのであり、いわゆる「実人生」のいわゆる「事実」が小説作品と触れ合いを持つのは、ただ一般論としてのみである。だから、小説作品が一般的で無いのなら、「実人生」との関係は、それだけ接触が少ないことになる逆の言い方をすれば、小説作品の細部が鮮明で新鮮であればあるだけ、いわゆる「実人生」から離れることになる。というのは、「実人生」とはありふれた形容であり、平均的な情緒であり、一般的に知られている多数の人間であり、常識的な世界だからである。

『ドンキホーテ』その他の小説の中に「実人生」の実際的な詳しい描写を探し求めてみても無益である。他方、小説の普遍的な要素と人生の普遍的な要素との間には、場合によって連関性があるということも否定出来ない。例えば、肉体的な苦痛や精神的な苦しみ、夢、狂気、それから親切、慈悲心、正義というようなもの――こういう人生にある普遍的な要素を考えてみると、そういう要素が小説の達人によって芸術へと変容されてゆく姿を勉強するのは有意義な営みであるに違いない。

自分の「実人生」を絶対の真実としてそれに固執し、適合しないお話をすべて「リアリティがないからダメ」などといって切り捨てしまうのは、自分の殻から一歩も外に出れないということであり、楽しめるお話が限られてしまうだろう。そのお説にあるもっと大切なモノを受け取り損ねてしまうだろう。

自分だけが持つ感覚を普遍的な「リアリティ」として作品に押し付けようとし、それが受け入れられなかったからといってすぐその作品に「こんなひどい作品は初めて見た」と発狂したり、その製作者を貶す心無い言葉を容易に吐き出してしまう人は、己の狭量さ故に世界を貧しくしてしまうだろう。

1001以下、増田にかわりまして管理人がお送りします:2012/09/23(日) 04:57:31.00 ID:???

掲載元スレッド:http://anond.hatelabo.jp/20131001124957

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1. 名無しさん@増田くん日記

  • 2013年10月03日 15:56
  • #XzcCguLo0

1別に批評するのは自由じゃね
「自分が共感できない」を「リアリティがない」に置き換えるのはこずるいと思うけど
それ含めて世に出たものは理不尽に叩かれてもしょうがない運命よ
批評自体が叩かれるのももちろんアリ